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道場の友人達へ
/イン
 
これは私が中国を訪れた時に密かに書き綴っていた日記です。
 
私はあの時の気持ちを記録し、私の道場の友人達とシェアしたいと思います。だからといって誰かのことを変えたいと思っているのではありません。私は自分自身に対する覚書としてこれを書いたのです。本当は自分の口から直接伝えたいのですが、この複雑な感情は、私の拙い語学力で友人達に伝えるには限界があると思いました。
 
2011年3月26日
午後1時頃私は空港に着きました。私が最初に会ったのは防寒具を2,3枚重ね着して丸みを帯びたシルエットになってしまった小柄な男性、He Yuanでした。彼は手を振って私を呼びました。そして、ケー(私と一緒に旅した友人)が疲れた笑顔を浮かべていたので、私はその時あまり喋りませんでした。
 
「服を着る?」He Yuanが振り返って私に聞きました。
 
私は彼の質問の意味が分かっているのかいないのか自信の無い態度でとりあえず、“大丈夫”と答えておきました。
 
「外はすっごく寒いよ。雨も降ってるし。」He Yuanは念を押しました。
 
それで彼の言っている意味がよく分かりました。でも私は自分のこと以外を信用したことが無かったので、「大丈夫、大丈夫」と同じ返事を繰り返しました。(いや、もしかしたらこのフレーズしか英語で言えないのかも。ハハ..)
 
それから私達はタクシーに乗るために空港の外に出ました。
 
「うわあああああ、超さむーーーーい!」思わずこんな言葉を漏らすと、He Yuanはまた私を振り返って微笑みました。彼には私の言葉は理解できないけれど、何を言っているのかはだいたい分かっているんだろうなと思いました。
 
私達はやっとホテルに着きました。ロビーにはチャリダーさんとウィーさんというタイの仲間達がいて、私達を見て笑っていました。
ウィさん「メールに書いたでしょ。ちゃんと防寒具を持ってきてって」
私は、こんなに寒いと思わなかったとしか返事ができませんでした。
そしてチャリダさんに連れられて寒い中私達4人(ケー、チャリダさん、ウィさんと私)は小雨の降る中、ある公園に行きました。
私はかつてこんな寒い土地に行ったことがありませんでした。この日はたぶん4度だったと思います。私の鼻と頬は凍ったように冷え切ってしまいました。私の両足の指は痛いんだか、感覚が無いのだかよく分からなくなっていました。
 
2011年3月27日
この日は私が泊まっているホテルからそう遠くない図書館で開催されたYunfestに映画を見に行きました。移動中も寒さがつらかったです。この日私は映画祭でまたHe Yuanに会いました。彼は暖かい恰好をしていました。だから初日に空港で出会った時の彼の笑顔の意味がこの時よく分かりました。
 
Yi Sichengも映画祭中忙しく走り回っていました。私は彼のことを覚えていました。彼は顔いっぱいに疑問と答えを表していたので、私はタイ語に通訳してもらわなくても彼の言わんとすることを理解することができました。
 
私は中国の作家のドキュメンタリー映画を多数見ました。そして内心たくさんの質問が浮かんできました。
 
映画を見た後、チャリダさんがこの日タイに帰国する前に、リーダーになって私達は外に食事に行きました。私はまずトイレに入ってから出かける支度をしました。
 
うわああああああ、このトイレ。私は絶句しました。すっごく汚かったんです。しかもトイレのドアが半分しか無いって、何で?すっごく訳わかんない。私は並んでいた時に、前に入っていた人が上半身をトイレのドアの向こう側に覗かせながら用を足し終えて立ち上がった姿を見て、少なからず驚いてしまいました。
 
そしてこの日私は、姉貴分のウイさんに防寒具を買いに連れて行って欲しいとお願いしました。もうこの寒さに耐えられなくなったのです。
 
OK。ケーとウィさんは私に様々なタイプのきれいな防寒具を何着も選んでくれました。でも私は、それらが暖かそうに見えなかったので興味がありませんでした。ケーとウィさんは私が選び過ぎるのでうんざりしていました。そしてやっと私を温めてくれそうな防寒具を見つけました。それは男性用の防寒具でした。ストンとした形で分厚くて重たくて。それを着たら私は体重が80キロぐらいになってしまいました。思い出しただけでも笑えます。ちょうど良いサイズが無いのです。タイに居た時、きれいな防寒具を着てみるのが憧れでした。タイも寒くならないかなあと思っていました。そして実際に本当に寒い土地へ行き、その願いが叶った訳で….防寒具を着て….しかも2,3枚も重ね着して。ハハハ。
 
2011年3月28日
Yunfest終了。この日ウィさんは私とケーを連れて映画祭の片づけを手伝いに行きました。この日たくさんの中国人と日本人の友人達と知り合いました。この日しっかりと覚えているのが、映画祭の片づけで長テーブルを拭くのに1時間もかかったことです。このテーブルは、ガムテープのベタベタした跡がたくさん付いていました。私達は掃除用具を全く持っていなくて素手でやりました。爪の長さも長短それぞれで、いっしょうけんめい机のテープの跡を取ろうと机を引っ掻きました。私達は中国の友人達に布と洗剤を探すように一生懸命に伝えようとしたのですが、うまく通じなかったようです。
 
ほぼ1時間が過ぎました。私達はまだ爪でテープの粘りの除去に取り組んでしました。そこにやっと我々のヒーローが現れました。ひとりの中国人の友人が、何かの洗剤を浸した小さな雑巾を持って現れたのです。そして例のテーブルを拭きました。外国人の友人達が、中国語、日本語、タイ語でそれぞれ何かを同じタイミングで言いながら顔を見合わせました。みんな大声で笑いました。想像するに、私達がタイ語で言っていたのと同じことを言っていたんじゃないかと思います。「あんた、さっさと持って来れば良かったのに!」
 
2011年3月29日
はー。この日私の鼻は乾いて割れていました。唇の端も割れてとても痛かったです。私の体の皮はまるで蛇の脱皮みたいに剥けてきました。もしかしたらシャワーのお湯が熱すぎたのかもしれません。(ぬるま湯では物足りなくて)ま、でもそれはいいや。大した変化ではないので。この日、中国、日本、タイの道場の仲間達は、朝早くからDaliに向けて出発しました。バスでは中国人のLuo Yiの傍に座りました。とても可愛らしくてお喋りな人でした。彼女は文法が正しくない私の英語でも理解してくれました。
 
Daliに着く直前に私は両側の景色を見たくなりましたが、見れませんでした。バスのガラスまどは霧と水蒸気に覆われて外が全く見えませんでした。
 
2011年3月30日
この日は待ちに待った日でした。キクチ先生の音に関する講義を聞く日でした。
 
キクチ先生は仕事の経験について語り、たくさんのテクニックを教えてくださいました。先生は熱心に私達に伝えようとされていました。ただ、私の英語力の問題で、100%理解することが出来なかったのはとても残念でした。
 
キクチ先生の講義の後、私達は4つのグループに分かれました。私のグループには、Luo yi、Mao Chenyuとイシカワ・ショウヘイ(あるいはタマカワさんとも言う)がいました。私達は与えられたテーマについて話し合いました。そして翌日から撮影と録音を始めることに決めました。解散する前に、私達はDaliの村の中でひとりずつ違う方向へ散らばることに決めました。それぞれに違うアイディアを手に入れるためです。
 
2011年3月31日
この日から私達は一生懸命に課題に取り組み始めました。私達は村を出て、滝から別れて長く流れている小川の近くにある村に決めました。そこは私達が宿泊するホテルの近くでした。最初は撮影をし、2回目は録音をしました。その前日に仲間の一人が 「水源の近くにいればいる程、水の音がよく聞こえるようになる」と言っていたのですが、私はそのようには感じませんでした。水源の近くにいればいる程、私には水の音が全く聞こえませんでした。
 
午後には私達は村を出ました。キクチ先生も一緒でした。私達はホテルに戻る前に座ってお茶をしました。私の聞き間違えでなければ、キクチ先生がお茶をご馳走してくれると聞こえました。そして音についての話をしました。しかしいつのまにか話題はMao Chenyuによるお茶の話に変わっていました。私達は何杯もお茶を飲みました。そして楽しくお茶について語り合いました。てゆうか本当はお茶を飲みながら知らず知らずのうちに噂話をしていたのでした。
 
2011年4月1日
この日は私達は、音入れをする前に撮影してきた映像とショットを選ぶ作業を急いで終えなければいけませんでした。ショットを選びながら、テーマについて何度も混乱しました。私は毎回いちばん最後に自分の意見を述べました。私から見ると他の人の方がみんな知識と経験がそれぞれに豊富に見えたからです。私はビジネス・マーケティングを卒業したので、私の映画の経験値は限りなく0に近いと思っていました。だから私は自分の意見を述べず、ひとり大人しくしていました。ある人がこう言ったことがあります。「コップにいっぱいに入っている水のような態度をとらないように。」しかし今回、コップの水はいっぱいであるどころか、私のコップには水が全く入っていませんでした。だから私は制作プロセスよりもグループの関係を重要視することにしました。そして出来上がった作品はみなのおかげでうまくいきました。
 
この日は殆ど休憩せずに作業しました。キクチ先生が音のテクニックについていろいろアドバイスをしてくださいました。私は最初キクチ先生の教え方にとまどっていました。私は心の中で何度もどうして?どうして?と思っていました。私のグループの仲間の一人がキクチ先生に「このショットにこの音声を組み合わせるといいですか?」と熱心に質問していました。するとキクチ先生は、「あなたが良いと思ったらそれでいいんですよ。」と答えてどこかへ行ってしまいました。
 
そこで私にはある考えが浮かびました。最初に私の頭に浮かんだのはキクチ先生が私の意識を刺激してくださったことに対する感謝の気持ちでした。それぞれの立ち位置が明確になる、これこそがチャレンジだと思いました。その日私はこのことばかり考えていました。それで作業に集中できなくなりました。
 
私達のグループの作品を見せる時がきました。でも4グループとも全然作業が終わっていませんでした。私達のグループが一番最初に終わったと思います。他のグループは午前4時までかかって作業していたと聞きました。そこで上映会は翌日に延期されました。
 
2011年4月2日
この日はみんな寝坊をしました。そして昨夜の作業で疲れ切っていたようでした。そして上映会は午後に延期されました。
それぞれのグループの上映会の時に、それぞれに制作過程と作業中にいろんな問題があったことが分かりました。いくつかのグループは時間が足りなかったと言っていました。(私にとっては時間はあり過ぎたぐらいでしたが)他のグループの人達は私達のグループの作品は、恋愛映画だと言いました。でも私はこの映画そのものがコメディではないかと思いました。「例えてみると、四角い伸びる素材の布を私達4人がそれぞれの角を持って自分の方へ引っ張っているような。そしてその布はすっかり伸びきって元の形を保っていない。」
 
それぞれのグループの上映が終わると、各グループからそれぞれキクチ先生の教え方に対する批判が出てきました。その時私も思わず自分の意見を述べました。でも夜になってもケーがまだキクチ先生の教え方についての話を止めないので、私はついに耐えられなくなってしまいました。そこでアサコさんの方を振り返り、自分の気持ちをささやきました。私の英語がひどかったので、アサコさんはきっと私の気持ちを全部理解できなかったかもしれません。私が言いたかったのはただ、「私はケーの意見に全部賛成できない」ということでした。キクチ先生の「あなたが良いと思ったらそれでいいんですよ。」という言葉は、私に新しい視点を教えてくれました。これこそが私が知っている若い世代の映画製作者にとって挑戦的なことではないかと。私も時にはその一人なのです。私も含めて若い世代の映画製作者たちは、賞が欲しいから映画を作っています。たった3人か4人の審査員に気に入って欲しいがために。そして受賞経験の豊富な大先輩の映画監督達に自分たちの映画の弱点を指摘してもらいたがっている。そしてその大先輩の監督の感想で、自分の映画を判定している。そしてそのアドバイスに従って映画を修正する。どうして修正させられるのか、その理由も理解せずに。何のために修正するのかも分からずに。私達が修正する理由は、彼らが映画制作の大先輩で受賞経験が豊富だから。私達は映画制作の自由を求めているくせに、なぜ自分たちで枠を作ってしまうのか。それでかっこいい言い方で流行ったのが、間違いもなければ正しいこともないというフレーズでした。なのにどうして私達は間違ったり正しかったりすることを心配しているのだろう。だから私は私の意識を目覚めさせてくれたキクチ先生に感謝しているのだ。
 
あの日私はキクチ先生が教えてくださった知識を応用すべきもの、すべきでないものという風に選んで使えると思っていた。しかし可笑しかったのはどのグループもキクチ先生の意見を求めていたことだった。どんな音を入れればいいのか、こうゆう音を入れていいのかどうか。実際にキクチ先生がアドバイスしたり感想を述べたりすると、干渉し過ぎになってしまうのでした。私達のグループはキクチ先生から、変えたらとか削除したらというアドバイスを受けましたが、毎回そのアドバイスに従った訳ではありませんでした。その時に私はこう思ったのです。私達が自分の立ち位置をちゃんと決めていて、本当に語りたいテーマを決め、映画を通して観客に映画が語りかけたいことをきちんと決めていればそれこそが挑戦なのです。そしてキクチさんはこの映画に何の影響を与えることもできない。でももしかしたらこのことが私達の映画のダメなところだったのだろうか。どうして教える人だけを責めて、作った自分自身を責める人がいないのだろうか。
 
私にこう聞いた人がいました。「あなたは監督になりたいの?」
 
私はいいえ、と答えました。私は映画製作者になりたいのです。その人は笑って、私と2度と口をきいてくれなくなりました。私達は時に、directorとfilmmakerにそれぞれ違う意味を持たせているのかもしれません。
 
2011年4月3日
この日はみんなで山登りに行きました。私は山に登るスタミナをつけるため朝食をたくさん食べました。豆乳を2杯、お茶を2杯と他にもいろいろな飲み物を数杯。私は山に登る前にちゃんとお手洗いを済ませてから出発しました。ところが山についたら、またオシッコがしたくなりました。私は友人にトイレに行きたいと伝えました。友人は急いでHe Yuanにトイレがどこにあるか聞いてくれました。He Yuanはちょっと待ったら連れて行くからと言いました。
 
私達は全員が揃うのを待ってから歩き始めました。私はトイレがあると安心していたので、急いでトイレに駆け込みました。うわああああああああああ。私は立ち止まって心を落ち着けるのに少し時間がかかりました。私はどうすべきか相談するためにウィさんを振り返りました。でもウィさんは走ってどこかへ消えてしまいました。そして大声で「私はオシッコしないよ!」と叫びました。私の傍にはもう一人、ユミコが立っていました。彼女は何事かと驚いた顔をしていました。私は彼女にトイレを覗いてみるようにと言いました。ハハハハハ。私達二人は、トイレに入るかどうか決心する前に、しばらく顔を見合わせて立っていました。
 
私達はお互いに会ったことも無い他人のフリをして目を合わせないようにしてトイレに入りました。ハハハ。私はオシッコしながら思わず笑ってしまいました。トイレの件に関しては事前に何人もから話を聞いていたけれど、まさか未だに存在するなんて思ってもみなかったので。
 
追伸:私は今回一緒に時間を過ごした皆さんとの絆を感じています。私にとってはとても
   目新しい経験をしました。みなさん、本当にありがとうございました。
 
イン
 

 

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