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映画の世界に戻る
/韩惠源(Han Huiyuan)
 
このチャンスを得て道場に参加し、皆と会いできたのはまことに喜びにたえないことだった。思考、観察、撮影、編集、お互いに協力しあい、自分なりの意見を述べ、最後にコンセンサスに達し、皆と一緒に勉強している時間はまるで大学の中で映画の知識を学んでいた月日に戻ったようだった。この旅に没入して本当に楽しかった。
映画を学ぶことはそういうような一種の奇妙な旅だ。
 
今回の大理道場での勉強について、ちょっとした感想があるけど。
今回のテーマはサウンドだった。映画は無声映画からトーキーに転換したものだから、トーキーの初期は録音技術が立ち後れていて、「映像を主体とし、サウンドを補助とする芸術」だと思われていた。サウンドの使用は映画に大きな変化を与えた。サウンドが映像画面よりも立体感があることを人々は発見した。サウンドは額縁に括らず、映像画面と等しく重要なものとなった。
大学時代では技術制限があったため、サウンドの重要性を知っていても、実践のチャンスが極めて少なかったから、一方的に映像画面に偏ってしまった。今回の学びは私に昔の勉強時期を回想させたとともに、サウンドにはより多くの表現の可能性が潜まれていることを分からせた。
菊池先生の出した宿題とは撮影する時、映像とサウンドを分離して、その映像にふさわしいサウンドを探すことだった。
撮影中、最初の日に予想外の問題が起きた。キャメラに同期録音が収録されず、ただ録音設備で一部のサウンドの断片を収録した。でもその後の撮影が順調に進んだ。編集の段階に入ると、私たちは二つの素材から一つを選ばなければいけない。いろいろ討論した結果、最初の日に撮った映像を選ぶことに達成した。つまり、湖辺りで遊んでいる四人の少年だった。そうすると、また問題があった。即ち同期録音がなかった。そこで、私たち録音設備に収録されてたサウンドを繰り返して聞き、映像にふさわしいサウンドを選んだ。それは同期録音を戻す作業となった。その作業の間、私たちは撮影している時の感じを思い出し、サウンドをできるだけ当時の感じに戻すことを試みた。
だが、全然宿題の目的に達しなかったようだった。そして、菊池先生が例を挙げてくださった:今大理では晴れ渡った天気ですが、曇りの日の様子を想像しなさい。
それなら、私たちの撮影した静かな湖の映像に、騒がしいサウンドを入れたらどうだか。どのように入れたらいいか。
私たちの撮った映像の中では四人の少年が緩やかでかつ自由な状態で遊んでいる。先生は自由と孤独の関係を体得させてくださった。彼らが自由だと同時に孤独もあるのだ。どのように孤独を表現したらいいのかと悩んでいる時、撮影の現場で収録した汽船と汽笛の音を思い浮かべた。その音を入れると、サウンドの空間がより立体的になった。サウンドでは旅行の汽船、汽船にいるガイドの解説と汽笛の音、それと対照的に、映像の画面では少年たちのぶらぶらしている状態。外の世界は賑やかなものだが、彼らとはまったく関係のないことだ。私の理解では、たぶんそれが一種の孤独ではないか。
 
おそらく私たちはサウンドについてうまく処理できなかったけど、このことを感じ取るのが極めて重要だ。つまりサウンドが映像と協力して人物の気持ちを表現することができる。サウンドが映画の空間を作る一種の手段として、映像が表現できないものを発見することに大きな役割が立てると思う。
 
その後菊池先生からの手紙に以下の話がある:われらが撮影するのは目に見える事物ではなく、事物の奥にある何らかのニュアンスであるべきだ。その奥にあるニュアンスをサウンドの面から考えれば、いかなるものであるか。
完全にその話を理解できるとはいえないけど、これからの撮影にはそのことに対しての理解を深めていくと決心した。
映画と映画のサウンドについて、私たちが了解したのはほんの少しの一部にすぎなく、間断なく学び続けるべきだと思う。
 
今回の道場活動のおかげで、私は多少つかれている、無感覚な仕事状態から抜け出し、映画を勉強する時の楽しさを温めることができ、映画についての本を改めて読み始め、研究する気持ちとなった。
「クラスメイト」の皆さんと一緒に楽しかった時間を過ごすことができて本当にありがとう。道場に参加した全員にも感謝の意を表したいと思う。
 
韩惠源 Han huiyuan
kunming china

 

 

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