About Documentary Dream Center

 
雲南映画道場
/石川多摩川 Ishikawa Tamagawa
 
クンミンについたのは夜だった。朝の麺がおいしかった。
バスでダーリに向かう車中は、台湾から来たYenと隣だった。途中で寄ったお昼ご飯とても美味しかった。円卓を囲んで自己紹介をしあったが覚えきれなかった。思い返すと、あの時今くらい仲良くなっていたら最後の晩のようにさぞ楽しかっただろうと思う。
最初に落ち着いた場所として、あの人工的な街は印象に残っている。爆竹の音とともに。
ダーリにつくと雨が降っていた。
ダーリは、石畳に石塀、建物も石で出来た美しい街で、カラフルな民族衣装や小物雑貨などのお店が所狭しと並び、どぶではなく水路が街中に流れていた。
雨にぬれた石畳がまたきれいだった。学校帰りの学生が麺や点心や串焼きなどを買い食いして行くのを見た。
最初の晩はタイのYin、Ke、日本の川部さん、僕、中国のLuo Yiの作品を上映した。どれも面白かった。タイの二人の作品はドキュメンタリーというよりも実験的な作品で、ドキュメンタリーを撮っているわけではなく参加した僕は親近感を覚えた。短編だったせいもあってか、この晩の上映作品は仕掛けが多くておもしろかった。
自作を外国の方に見てもらえるのは初めてだったので、緊張すると同時に楽しみだったが、日本で上映したときと同じように、映像より手紙のほうに反応が多くておもしろかった。通訳してくれたJi Danありがとう。
 
次の日に菊池さんの講義、チーム分け、グループワーク開始。
菊池さんのお話の間の、みんなの聞き方が個性的だった。真剣に聞き入っている人、質問を考えてる人、メモを取る人、運んできてくれるお茶を気にする人、落書きしてる人…
 
チームは、Mao Chenyu、Yin、Luo Yiと一緒になった。若井さんが通訳してくれる。Mao Chenyuにはヴィジョンがあった。昨晩上映した僕の作品を気に入ってくれたらしく、とにかく僕の手紙を使うということ。
シンクロの音を使わないということは、どういうふうに作品を構成しようか。観光地化された今のダーリと昔のダーリ?静かな場所を撮って、街の賑やかな音と合わせてみる?それとも市場とか賑やかな所を撮って、静かな音と合わせてみる?山に向かっていく一本道をロングテイクで撮って、だんだん静かになっていく様子を音で表現しようか。手紙はどうする?
そんな事を話し合っていたら他のグループはみんないなくなっていた。
Mao ChenyuはLuo Yiに中国語で何か言い残し、席を立った。Luo Yiが英語に訳してくれる。とにかく街に出ようということのようだ。Mao Chenyuはとにかく一人先に行ってしまう。Luo Yiに聞くと、別行動で各々“私にとってのダーリ”を探そうということらしい。Luo Yiも買い物を始めてしまった。ではとりあえずホテルに戻ろうとYinと歩く。ふたり片言の英語で喋る。ダーリの街を歩いていて何が気になる?どの音が印象的?金属細工の槌の音、点心を蒸かす音、街を流れる水の音…。
僕は独りで水源を探してみた。水の流れは結構曲がっているが、二つに分かれることなどなく、辿っていくと確実に辿っていけた。カフェの多い傾斜の激しい所を越えると城壁が見えてきた。城壁を出ると大きな道。城内とは全く違う激しい車の往来。そして向こうには明らかに田舎の道がある。
信号のない道を渡って細い道を入り込んでいくと、いくつものところから水が出ている。それを皆行列を成して汲んでいる。車で来て大量に汲んでいく人もいる。採石場のような広大な土地がある。大きな木を中心とした広場もある。家を直している人、洗濯をする人、水汲みに来た親に付いてきた子ども。麻雀をする声が家から漏れる。ここは昔のダーリのままなのかもしれない。
夕方の集合時間。個々でダーリをさまよった四人で報告し合う。出る前にいろいろ話し合っていたからか、僕らはなんとなく求めていたものが似ていた。水、城内と城外、街と田舎、今と昔、山へと続く道がまがりくねっているということ…
Mao Chenyuも僕とは違う水源を見つけたらしく、とにかく明日は城外へ出てみようということになった。テーマは水。
次の日、午前中は城内から城外へと撮影をし、午後は城内から城外へと菊池さんの機材を借りて録音をした。
録音を早めに切り上げて、お茶屋さんでMao Chenyuのプーアル茶教室。柳の綿が舞って、傾斜のある坂を水が流れて、日の長いダーリの夕方。少し夢のような印象的な時間。Chenyuの難しい話を通訳してくれたLuo Yiお疲れさま。
その晩グループワークのための手紙を書く。独り、部屋で悶々と書く。
いつも一人で制作している僕は、出来上がった手紙をみんなに見せるとき緊張した。普段は何日もかけて推敲して直して削って膨らませて、とする作業だが、今回は一晩でやった。手紙の内容は完全に一任されていたので、みんなの考えていた内容とあまりに違っていたらどうしよう。水の流れになぞらえて恋の復縁を迫る甘っちょろいラブレターにしたが、大丈夫だろうか。
次の日、皆はおおむねOKを出してくれた。よかった。菊池さんやYinは意見を言ってくれて、自分の手紙に意見をもらったのが初めてだったので新鮮で、ありがたかった。凄く勉強になった。
一日中編集。みんなの意見をまとめる役だったMao Chenyuが実際にPCを触りだしてから作品が動く。音も菊池さんの指示を仰ぎながら付けていく。
途中僕は独り部屋に戻って手紙の朗読。声が暗いというディレクションを受けて、録り直し。普段の自作では感情を込めない“手紙の読み方”というものを考えながら読んでいるのだが、今回はラブレターだということもあって特に棒読みにしたのかもしれない。みんなさすがだ。
この日はたしか天気がよかったな…
当初の編集プランとは随分変わったが、街を出る映像とラブレターを物語るためのダーリの音のコラージュで構成できた。
大事なところでFeng Yanや若井さんに通訳してもらったのは大きかったが、最終的にはみんな自力でコミュニケーションをとりつつ出来たのが嬉しかった。一つの映像作品を作ることで言語を超えられたような感じがした。

この晩、他のグループもなかなか終わらず、僕らもデータの書き出しに手間取ったりしながら、他のグループの完成を待ちつつ一晩明かす。Mao Chenyuとっておきの高いプーアル茶を入れてもらったり、ダーリ在住の日本人の方と話したり、他のグループを覗いたり。段々に増えていく待つ人々。川部さんやるんみさんやJiang Huaと恋人の話をして、Luo YiとHan Huiyuanに昆明語を教わる。Jiang Huaの携帯に入っている音楽を聞かせてもらう。恋人同士みたいにイヤホン片耳に入れつつ聞こえてきた谷村新司の「昴」がなぜか心に沁みた。そうだこの晩は星がきれいだった。昴星雲も見えたのだった。

 
一人の固有名詞をもった作り手として参加するワークショップというのは、これまで自作を上映したときよりパフォーマンスをしたときより、作家としての自覚が必要だった。お客さんとして参加するワークショップや授業で参加するワークショップとは違って、皆個性をもった作品作りをしている人同士で、刺激しあって、自分の制作と照らしあわせて、作業していくのがおもしろかった。中国やタイや日本の仲間たちを得て、作り続けていく覚悟をますますキめた。
 
2011年5月14日 東京・松庵にて
 
 

 

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