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雲南道場に関する片言隻語など
/蒋骅(ジァン・ホァ)
 
道場から家に帰ったころは、何か心にわだかまった言葉を書き記さなければと考えていたのだが、大学の卒業やら論文の発表やらという出来事に阻まれてしまった。そしてずっと先送りにしたまま、気がつけば2ヶ月余りが経っていた。藤岡先生のメールを受けとり、道場の旅について整理しなければと自分をせきたてた。
私の人生でこのような道場に参加するのは初めてだったので、特別な意義があった。私の知識が足りないので、特にまとまった判断を下すことができなくて申し訳ないのだが、むしろ、いま私の頭の中にあるのは道場についての非常に些細なことがらで、どれも同じ情景と画面なのだ。ここで私がそれらを脈絡もなく描き出すことをお許しいただきたい。
 
一:
初日に出かけたとき、大理は雨が舞っていた。車列から出た人々が大小の荷物を抱えて雨の中を歩き、ようやく落ち着いたところで、私はタバコを吸う場所をみつけた。同行者の年配の日本人が親しげに隣に立っていたので、私は自分でもよく理解できない英語を並べながら、彼に一箱十元のタバコ「紅塔山」を差し出した。彼は笑顔でそれを受け取ると、幾口か吸い、とても真剣に親指を立てて「GOOD」と言った。私はきまり悪く笑った。それが授業をしてくださる菊池先生だったと知ったのは、後になってからだった。
 
二:
菊池先生の授業の現場はとても面白かった。たくさんの人が異なる言語と異なる文字で同じことを記録している。みんなが、映画の音声とは何かや、音声と現実の関係といったドキュメンタリーの音声処理の問題をめぐって、タイ語、日本語、中国語で順番に交流していく。こういった授業は私が在籍した学校では教えてくれなかった(または意識していなかった)ことで、私にとって非常に大きな啓示となった。今でも、ノートには赤いペンで書いた菊池先生の言葉「音声との出会い」がある。
だが私は今に至っても、これをよく理解できていない気がする。
 
三:
課題の撮影のとき、我々の組は洱海に行った。数人の子供が洱海のほとりの草地の上に円くなって座り、何をするともなくボーっとしていた。私たちはそんな状態に引き込まれた。仲間の川部良太は、彼らの姿に自分を見ることができると言った。私たちは子供を撮りながら、洱海のほとりに座っておしゃべりをした。湖の風に吹かれ、浴びる太陽はとても暖かかった。私はよく「蒼山の雪、洱海の月」という言葉を聴いていたのだが、なるほど噂のとおりだった。
 
四:
課題の編集をしているとき、印象深かったのは川部良太と私が知る多くの中国の作家との態度の違いだった。どのシーンにおいても、彼は真剣にメンバー全員の意見を聞き、みんなは自分の思うことを発言した。こうした交流により、私たちがこの作品に対する態度がどういうものか、なぜ違うのかということをいつの間にか互いにより深く理解できた。これはとても大きな収穫だった。
 
五:
私たちは毎晩一本の作品を観た。ある日は私の作品で、私は自信がなかったので、ずっと不安を覚えつつビール瓶を片手に座っていた。見終わってからみんなはとても優しく、さらに伯超はこれが好きだと言って、下品な言葉を帯びた詩を大声で作ってくれたりもした。私はこんなストレートな人が好きだ。藤岡さんやマオ・チェンユ、ツォン・フォンは私にアドバイスもくれたので、私はだいぶ落ち着いた。私は川部良太の作品がとても好きだ。彼の態度が感じられる。彼の作品は情緒があって、とても良い。
 
そのほか道場での様々なことが、私にとってはとても貴重な財産となった。道場の期間中みんなの世話になったことに感謝したい。特別な環境の中で、大勢の共通の出発点を持つ友達と共同作業をするという、こんな時間が得られたことは、私にとって一種の慰めとなった。
 
いま成都の窓の外には雨が降っている。この雨音を聞いていると、道場初日の雨音の中に私を連れ戻してくれる。菊池先生が言っていた「音声との出会い」とはこういうことだろうか?
みんなが何事も上手くいくよう願っている。
 
 
关于云南道场的一些只言片语
 
离开道场回家的时候就开始想,一定要写点什么把内心的某些不吐不快的东西记录下来,但中间又因为大学毕业,论文答辩等等事情错过。于是就这么一直拖着,晃眼间,已回家两月有余。接到朝子老师邮件的时,提醒自己,确实是该为道场之行进行一个梳理了。
这是我生平第一次参加这样的道场,因此具有特别的意义。请原谅我知识建构的不完备,无法做出特别总结性的一个判断。相反的,如今在我脑海中的都是关于道场特别零碎的一些东西,如同一些场景和画面。在此请允许我将它们用不太连贯的逻辑勾画出来:
 
一:
第一天去的时候大理飘着雨。车队的人拖着大包小包的行李行走于雨中,好不容易安顿下来后,我找了个角落抽烟,同行的日本老先生友善的站在旁边,我一边夹杂着我自己都不太明白的英语,一边递给他一支10块一包的“红塔山”,他笑着接过后很抽了几口,很认真的竖起大拇指说:GOOD。我很尴尬的笑,后来才知道,这位老先生就是来授课的菊池老师。
 
二:
菊池老师的授课现场很有意思,一群人用不同的语言不同的文字在记录着同一个表达。大家围绕纪录片声音的处理这个问题用泰语,日本语和中国语进行轮番的交流:什么是影片的声音,声音和现实的关系。这种课是我所在的学校从未教给我们的(或许是无意识的),这对我有特别大的启示。到现在,笔记本上还用红笔写着菊池老师讲到的:和“声音”相遇。
我觉得我现在还没有特别好的理解它。
 
三:
拍摄作业的时候,我们一组去了洱海。几个孩子围坐在洱海边的草地上,无所事事的打发时间。我们很着迷这样的状态,搭档川部良太说,他能在他们身上看到自己。我们一边拍小孩,一边坐在洱海边聊天。海风吹过,阳光洒下来特别温暖。我从叉叉那里得知有这么一说:苍山雪,洱海月。名不虚传。
 
四:
在做作业剪辑的时候,印象深刻的是川部良太和我接触到更多的中国作者的创作态度的不同,几乎每个剪辑镜头,他都要很认真的询问每个成员的意见,大家都要畅所欲言,说自己的感受。不知不觉间,这样的交流,让我们彼此都更理解我们对片子的态度是什么,为什么不同。这是特别大的一个收获。
 
五:
每天晚上大家看一部片。有天看我的片子,而我确实是缺乏自信,整个过程中我拿着瓶啤酒坐在下面心神不安。看完后大家很包容,伯超还说他喜欢,并站起来大声作了一首带脏字的诗歌。我喜欢这种直接爽快的人。Asako,毛晨雨,丛峰还给我了一些建议,也让我稳定了不少。我很喜欢川部良太的片子,我能感受到他的态度。我觉得他的片子是有情绪的。我非常喜欢。
 
还有很多在道场的点点滴滴,这些对我来说都成为了特别珍贵的财富。感谢大家在道场期间的照顾。有这么一段时间,在一个特别包容的环境中,和一群共同出发点的朋友来一起共事,对我自己来见,是一种慰藉。
 
此刻成都的窗外正在下雨,听着这雨声很容易把人拉回到去道场第一天的雨声中。不知道,是否这就是菊池老师所谓的“和声音相遇”呢?
愿大家一切都好。
 

 

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