/秦岳志
「簡潔に事実だけ伝えますね。佐藤真さんが、昨日、亡くなりました」
このセリフを聞いた瞬間のことを、今でも鮮明に思い出すことが出来る。
2007年9月5日、まだ残暑厳しい夏の昼下がり。
その時電話を受けた携帯の冷たい感触や、部屋のレイアウト、その時一緒にいた家族の、私の動揺を察して気遣いはじめた瞬間の表情。
映画制作会社シグロの山上さんからこの言葉が発せられた瞬間から、私の人生は大きく変わった。と思う。
このセリフを聞いた瞬間のことを、今でも鮮明に思い出すことが出来る。
2007年9月5日、まだ残暑厳しい夏の昼下がり。
その時電話を受けた携帯の冷たい感触や、部屋のレイアウト、その時一緒にいた家族の、私の動揺を察して気遣いはじめた瞬間の表情。
映画制作会社シグロの山上さんからこの言葉が発せられた瞬間から、私の人生は大きく変わった。と思う。
個人的にそれは「9.11」どころの騒ぎではなかった。
格好をつけるわけではないけれど、正直なところ2001年9月11日の時点で私は、(誤解を恐れずに言えば)そのうち起きるであろうと思っていたことが現実に起きた、というだけのことと思っていた。
スペースシャトルの爆発が小学生、天安門事件が中学生、「東側」とバブルの崩壊を高校生、大学受験勉強が始まる頃には湾岸戦争が起きた。
私が世の中の事が分かり始めた頃にはもう既に政治やイデオロギーの時代は終わっていて、「不毛の時代」と後から呼ばれる90年代に20代を過ごした。
格好をつけるわけではないけれど、正直なところ2001年9月11日の時点で私は、(誤解を恐れずに言えば)そのうち起きるであろうと思っていたことが現実に起きた、というだけのことと思っていた。
スペースシャトルの爆発が小学生、天安門事件が中学生、「東側」とバブルの崩壊を高校生、大学受験勉強が始まる頃には湾岸戦争が起きた。
私が世の中の事が分かり始めた頃にはもう既に政治やイデオロギーの時代は終わっていて、「不毛の時代」と後から呼ばれる90年代に20代を過ごした。
「私たちの世代」といきなりひとまとめにすることには慎重でなければいけないと思ってはいるけれど、ドキュメンタリー映画の世界でも私の世代以降の作家はことごとく「私ドキュメンタリー」で世に出るようになった事を考えても、私自身やはりその「個人的な経験を足がかりに、世の中を見る」世代の一人だと事あるごとに認識し続けてきた。
もう1つ私の人生を物理的に大きく変えた出来事がある。
それは2003年8月8日。一人目の子どもがこの世に出てきた瞬間。
この瞬間に私のそれまでの人生は一旦終了した。すべての時間が止まり、世界中がこの小さな命を中心に回り始めることになる。
それは2003年8月8日。一人目の子どもがこの世に出てきた瞬間。
この瞬間に私のそれまでの人生は一旦終了した。すべての時間が止まり、世界中がこの小さな命を中心に回り始めることになる。
さてようやくタイでの「道場」の話しにたどり着くわけですが(前置きが長い!とまた藤岡さんに言われそう(^^))、今回の企画に誘ってもらえたことで、ようやく上記2つの個人的な大きな出来事から次のステップを垣間見るきっかけをいただけたと思っています。
何よりもまず、2003年8月8日に子どもが生まれて以来、こんなに長期にわたって家族から離れたのは(ほぼ)初めての体験でした。
もう8年近くもすべての時間が子どもを中心に回っている人間からしてみると、自分自身の時間を責任もって生きなければいけない環境に対してどれだけ不安を感じることか。この間どこまでも、子どもとのセットでの存在としてのアイデンティティーを拠り所に生きてきたんだなぁという、客観的に考えれば至極当然の事を再認識し、そういう「甘え」の許されない環境での一歩を、恐る恐る再び歩み始めるきっかけをもらいました。
今回の旅ではまた、数年前に同じ場所に来ていたという佐藤さんの足跡を辿り、そしてまた自分と佐藤さんとの経験について皆さんの前で語らせてもらうという貴重な機会をいただきました。
ご家族のご厚意で骨まで拾わせてもらい、その後各地で開かれた「送る会」にも出来る限り参加させてもらってきたにも関わらず、これまではずっと自分の心を深く閉ざしてきたのだということが、今回よく分かりました。
亡くなってから4年経ってようやく、私と佐藤さんとの時間を少しずつ反芻できる気持ちになってきた自分を感じます。ありがとうございました。
ご家族のご厚意で骨まで拾わせてもらい、その後各地で開かれた「送る会」にも出来る限り参加させてもらってきたにも関わらず、これまではずっと自分の心を深く閉ざしてきたのだということが、今回よく分かりました。
亡くなってから4年経ってようやく、私と佐藤さんとの時間を少しずつ反芻できる気持ちになってきた自分を感じます。ありがとうございました。
そして世界では、こんな「個人的」な事にばかりかまけてきた私自身の変化を察してか(そんな訳はない)、再び政治の時代が始まろうとしています。
少し大げさですが、昨年5月にタイで起きた革命前夜の動きこそ、私にとって「9.11」以上の “目覚まし時計” になったと思っています。
そんなタイで映像表現をしている人たちなのだから、よっぽど「政治の時代」に生きているのだろうと、タイ側の参加者に会う前はとても大きな期待と不安を感じていました。でも、会ってみたら、なんてことはない、私たちと同じではないですか。状況が状況なので日本の私たちより一歩か二歩先を行っているように感じますが、みんな個人的な経験、一人の人間としての感覚を大切にしながら次へ進もうとしている若者たちでした。
それが分かった事が、何よりの収穫でした。
少し大げさですが、昨年5月にタイで起きた革命前夜の動きこそ、私にとって「9.11」以上の “目覚まし時計” になったと思っています。
そんなタイで映像表現をしている人たちなのだから、よっぽど「政治の時代」に生きているのだろうと、タイ側の参加者に会う前はとても大きな期待と不安を感じていました。でも、会ってみたら、なんてことはない、私たちと同じではないですか。状況が状況なので日本の私たちより一歩か二歩先を行っているように感じますが、みんな個人的な経験、一人の人間としての感覚を大切にしながら次へ進もうとしている若者たちでした。
それが分かった事が、何よりの収穫でした。
今まさに中東を中心に革命2.0が進行中ですが、これも見事なまでに一人ひとりの生活のレベルから立ち上がってきたうねりのように感じています。
エジプトのグーグル幹部ワエル・ゴニムさんが「自分はヒーローではない」と言ったように(そして最近では日本でも一色元海上保安官が全く同じセリフを述べていますが)、21世紀に生きる私たちは「ヒーロー」が生み出されることの危険性を身体感覚で理解しているのでしょう。(おおっ、大きくでた!)
エジプトのグーグル幹部ワエル・ゴニムさんが「自分はヒーローではない」と言ったように(そして最近では日本でも一色元海上保安官が全く同じセリフを述べていますが)、21世紀に生きる私たちは「ヒーロー」が生み出されることの危険性を身体感覚で理解しているのでしょう。(おおっ、大きくでた!)
佐藤さんと一緒に地味に小さな映画を作りながら進めてきた、「個人」から「素材」から立ち上がる世界が、今まさに目の前で花開こうとしているように感じています。
これからも地味な映画を細々と作り続けながら、今回出会った皆さんとまたお互いの作品の見せ合いっこが出来るといいなと思います。
これからも地味な映画を細々と作り続けながら、今回出会った皆さんとまたお互いの作品の見せ合いっこが出来るといいなと思います。
以上、38度の熱を出して寝こみながらふと思ったことのメモ、でした。