About Documentary Dream Center

 
人生という時間の中で    
/比嘉千秋
 
ハラハラしていた。タイの空港では馴染みのない言語が飛び交っていて、私は英語もわからない、そんな状態で参加していた。海外は初めてだった。
 
まず空港から出られないでいた。こんなとき目がカメラだったらドラマを見ているようだ。ジェスチャーにも限界がある。このまま出られないかもとパニックを起こしていた。広い空港、たくさん人はいるのに見えるものも聞こえてくるものも違う。大きなものが流れ動いている中、ひとり透明人間だった。私は日本から出たことがない。世界は本当に広いのかもしれないと肌で感じていた。やっと空港を出てスタッフの方に出会えたときは、ほっとして涙がでそうだった。私のタイはこれから始まった。
撮るということはどういうことなのか。
 
ワークショップで用意された映像素材からは、物が語りだしそうな瞬間があった。グループで編集をするとき、みんなでコミュニケーションしながら話していると、相手のイメージする映像が頭の中で見えるようだった。
 
素材を撮り編集するでは、グループで撮った素材から、私の見たことのない映像がそこには流れていた。撮るということは、その人が撮影している場所や被写体、全体をどう感じ視ているかが、カメラを通してみえるのだということを実感した。ワークショップを通して感じたことは、素材を撮る時から、頭の中で映像のテンポやリズムを刻みながら撮っているのではないかということだった。だからか、編集はとても難しく感じたし、今まで私は、自分の中で映像のリズムを、半分無意識のうちにつくっていたと気付いた。今までほぼ一人で映像を編集してつくってきた私にとって、不思議な体験になった。
 
たくさんの作品をみていて色が違う!と思った。あたりまえかもしれないが、いろんな映像があるのだとまた知る。最近は映像をみることから遠ざかっていたと感じる。ここタイで、このメンバーで集まりみんなと出会って、作品との出会い。大学時代を思い出していた。大学には答えがないと気付いた時から、今まで経験したこと、疑問を感じて悩んだり、ケンカして影響されたり、発見したりすることが、自分なりの哲学をつくっていたのだと思えた。それは社会に出てからも一緒だった。そして話し合えるこの環境に感謝した。いろんな作品をみて自問自答していた。時には積み重なってできた哲学が自分を迷路に誘い込んでいるときもある。迷い続けても歩いて歩いて、その先に「!」光るものがあるかもしれないけど‥。「記録は死なない」という言葉に出会えて、焦りの気持と希望の様な気持でいっぱいになった。時間は止まらない、急がなくっちゃ!
 
地球の年齢からして、人が一歩一歩あるく人生の時間は、長いようで短い。その人生時間のなかで時間を割いて人に見てもらうということとは‥。そして撮るということとは‥。切り取られた人生時間(場面)はそれでも生き続けている。
 
サラヤやバンコク、タイを歩いていると、今まで無意識に創られていた価値観が崩れるようだった。いろんな悩みに振り回されている自分がばからしく思えた。この旅(海外)が初めてで良かった。観光とはまた違う、一風変わった旅になって。
 
半分家族のように思っていたみんなと離れる日が来る。帰る時間が迫ってくると、寂しさから話ができない気持だった。でも何故かワクワクした気持ちもあった。帰ったら撮りたい、知りたい、今この感じていることを自分のものにしたい!栄養剤をもらったみたいに。 タイを離れる。またハラハラするハプニングが空港で起こった。ハプニングの度にたくさんの人に助けられてきた。そう考えてみると、人ひとりの周りにはたくさん物語が転がっていると思う。この目がカメラになったらどうなるだろうと思うときがある。自ら発したり、影響されたり化学反応しながら、つくっているような‥、つくられているような‥。その自分の物語を自ら見せられ体感している感覚になる。私の人生に限らず、ひとりひとりの人生はたくさんの場面の連続である。被写体からしたら人生の流れの一部でしかないものも、切り撮られて作者達を通し映像となる、それが人に触れたとき、作品となっていくのかな?逃したくない一瞬や場面、そして瞬間では撮れなかったその背景にあるものたち。そう思うと、人間の一生をまるまる撮影したらどうなっちゃうのかな?でもその映像を見るのに一生をかけてしまうことになるな‥なんて身勝手な作品の空想あそびをしていた。
 
沖縄に帰ってきた。
 
私はここから見える景色がすべてだったんだ。
 
人生という時間の9日間を切り取ってタイに行き、また戻り沖縄での生活が始まる。いつも通りの、ここにある生活にもどるものだと思っていた。飛行機から降りたとき、今までとは違う、目の前に広がる世界が全く違うものにみえていた。ここからみえる景色、この感覚を忘れたくないと思った。不思議だ‥
 
ん?待って。何かに似てる。私は編集されているのかな?沖縄で過ごしているフィルムを切って、タイというフィルムを繋げて、また沖縄のフィルムを繋げただけなのに、その後のフィルムの景色が全く変わったように見えている。編集されているみたい。貴重な体験でした。
 
ある人が、ラジオで岡本太郎の「芸術は爆発だ」は、実は「芸術は場数だ」の聞き間違いなんじゃないかと言っていたらしい。私もその場数をひとつ体験したのだろうか。この道場でのたくさんの、たくさんの出会いに感謝します。またみんなとの再会、これからの出会いのために英語も学びたいと思います。作品を通してまた会える日を楽しみにがんばります。

 

 

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