About Documentary Dream Center

 
/畠山容平
 
タイから日本に戻って来て早1ヵ月が経ちました。今振り返ってみても、同じアジア地域で映画を志す若者同士であっても、それぞれが培ってきた価値観、背負っている文化的、国家的な背景が違う中で、短い期間ではありましたが、共同で制作し、同じ映画を観て、話し合い、交流できたことは得難い経験だったと思います。
 
これは僕個人のあまりにも主観的でおぼろげな感慨ではありますが、タイでの1週間で印象深かったことを幾つか記してみます。タイ側の参加者は基本的に歳で言えば20代中頃の青年が多かったと思いますが、彼等の多くは現在プロの映像制作者として活躍している人が多いので、基本的な映像技術の高さは備わっていたと思います。それは彼等が私物として持参した映像機材を見ても明らかでした。また彼等の英語の適応力は高く、彼等が映像だけではなく高い教育を受けていることが伺えました。またタイの温暖な気候は、彼等の気質を大らかにしているのでしょうか、明るく、礼儀正しく、人々の接し方が幾分優しいようにも感じられました。
 
しかし、彼等が平穏無事な生活が送れているかと言えば、勿論昨年の政治的な混乱で100人近い死者を出しているので、その血生臭い記憶が消える訳もなく、彼等の政治への関心の高さは当然のことでした。彼等と話し合っている中で一番印象に残っているのが、彼等から時おり「ロウワークラス(lower class)の生活の困難さ」という言葉が聞かれたことです。それが何を意味するのか、まだ僕には判断は付かないのですが、意外に思ったことは彼等が話すことは当事者としての意識は低いというか、傍観者的な立場で冷静に分析している様でした。まだ整理がつく状況ではないと言った方が正しいでしょうか?莫然とした国家への危機感みたいなものを感じました。「私達の国はどうすればいいでしょうか?」と意見を求められましたが、日本から何か教えられるものなんてあるかと思い、何も答えられませんでした。また国家からの監視の目が厳しい様で、フェイスブック等のネット上でのコミュニケーションにも個人が特定されないような工夫をしていると言ってました。
 
それともう1つ「タイにはドキュメンタリー映画史と呼べるものは殆どない」という言葉でした。主催者であるチャリダーさんを始めとして、日本から学ぼうという意識が高いことが感じられましたが、ぼくの楽観的な見方で言えば、アピッチャッポンの様な成功者もいて、その時代に必然性の高い表現が生まれていれば、自然とその積み重ねが生まれてくると思っています。もともと世界中でドキュメンタリー映画というものは常に傍流であり続けたマイナージャンルだし、迫害されたことはあっても歓迎されたことは極めて少ない歴史があるし、日本でもそのことについての活発な議論と呼べるようなものは局所的にはおこっても、ドキュメンタリスト同士が話し合う機会なんて殆どないという印象を持っています。
 
つまり、何が言いたいかと言えば、タイは観光を主な産業としている後進国でもなければ、多様な価値観を持つ中間層も多く存在する豊かな国であることを、彼らと話している時に実感しました。自分の思ったことを書いてみて、自分の無知を恥じ入りたくなりますが、実際にその国を訪れて、そこで暮らす人々と接してみないと、分からないことが多いなと痛感しました。
 
日本も良きお手本としてあり続けるには、彼等から学べることを謙虚に受け入れ、互いに高め合える存在であり続けることが重要だと思います。

 

 

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