About Documentary Dream Center

 
タイのドキュメンタリー映画道場にて
/藤岡朝子(ドキュメンタリー・ドリームセンター)
 
「アサコ、相談がある。」夕食後、宿泊していた学生寮の中庭でタイ人の若き映像制作者3人が言ってきた。チェコに留学経験のある19歳のフォン、反政府派が占拠するバンコク中心街で潜入撮影をしてた30代のジューン、実験的な短編を作る大学院生のケイ。「今日の編集実習で、5チームのうち4チームの映像が似通った構成になってしまっていた。どうしてあんな類型的なパターンに陥ってしまったのか。魅力的な映像素材はたくさんあったのに。」
 
バンコク郊外のフィルム・アーカイヴでタイ人と日本人の若手映像制作者たちが寝食を共にする5日間の映像ワークショップの2日目。古いフィルムの修復と保存をするアーカイヴの仕事をベテランキャメラマンの内藤雅行さんが工程順に撮影した、その同じ映像を3名ずつの日タイ混成チームがそれぞれ編集する、という実習だった。60分以上の素材をたった3時間で編集する、しかも通訳を介して話し合いながら、というありえない条件。だから私は、まとまったものができただけでも驚いていた。編集の出来栄えが問題ではなく、プレッシャーの中で人と意見交換して何かを進めていくひとつの冒険をやってみてほしかったのだ。
 
製作意図の指示はなく、全く自由に編集してよかったのに、確かにほとんどのチームが被写体の4人を等分に扱い、インタビューを重視して作業内容の紹介を中心にまとめていた。さすがの技術力と協調性の証しだったが、彼らは上映されたそれらの映像が画一的に「よくできてしまっていた」ことにショックを受けていた。
 
2010年のタイと言えば、90人近くの死者を出した反政府デモと軍の衝突。バンコク市内の占拠・焼討ちと狙撃兵の発砲。そして一方で、アピチャッポン・ウィーラセタクン監督のカンヌ映画祭・最高賞受賞。このような時代、映像を志すタイの若者は何を考えているのか? そんなタイ人と出会った同世代の日本人はどう感じたのか?
 
今回の「日本タイ映画道場」では、タイから10人、日本から4人、中国から2人の若手制作者に加え、撮影の内藤雅行さんとプロ編集者の秦岳志さんの参加を得て、朝から晩まで連日フルスケジュールで実習、映画上映、講演、そして例のごとく共においしい食事をとって交流する、という日々。時には共同作業のわずらわしさにイライラし、時には意気投合した喜びにワクワクし、そしてお互いの映像作品を鑑賞しては互いの人となりを知っていく友情づくりの毎日だった。
 
ひとりで撮影・編集し、ひとりで作品を作る最近のデジタルビデオ制作者の多くは、映像素材からの距離が取れずに独りよがりの作品に陥ったり、いつまでも撮影と編集をだらだらと続ける終わりのない作業にハマってしまったりする。「映画道場」では技術的な訓練などではなく、例えば(1)他者とのコミュニケーションを通して自己を認識する(2)ベテラン技術者の考え方を聞いて共同作業の魅力を考える(3)いろいろなドキュメンタリー映画を知って手法の多様性を発見する――そんなことを期待していた。
 
そんな中、参加者たちは『ドキュメンタリーごっこ』『おてんとうさまがほしい』『三里塚の夏』などの映画と、内藤さんや秦さんの実人生のエピソードのお話を通してどんどん顔つきが変わっていった。一緒に料理したり遊んだりする中間日もよかったのだろう。再度チームに分かれ、音楽学校で撮影した自分達自身の映像を編集する作業の頃には、初日の表面的な気遣いと遠慮は影をひそめ、各自が自己主張を披露する”本気バトル”が賑やかに始まったのだった。
 
カメラを持ってどんどん被写体に迫る報道タイプの人が、じっくりロケハンしてから撮る全体性を考えようとする人とのスタイルの違いにびっくり。編集で、なぜこのカットがいいのか説明する手間がもどかしく、「論よりとにかくやってみよう」と手作業の試行錯誤方式に切り替え勢いを見つけたチーム。沖縄のチームメイトの映像作品を見て驚き、自分の描いてきた判を押したような東北タイのイメージを問いなおした人。最後はどうしても意見が分かれ、コインを投げて決めたチーム。
 
激動の時代に映像を掌ろうとする情熱をもった彼ら。ライバルであり仲間である雑多な人たちと出会ったことが、今後の製作意欲と度胸を培う体験だった、といつかこの「映画道場」という場を振り返ってくれると嬉しい。彼らの今後の活躍に期待する。
次回の映画道場は中国・雲南省の山村だ!
 

 

                                     

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