Yamagata Dojor

 

【日本参加者の感想文】

 

この企画を知ったのは想田和弘さんのSNSでした。想田さんが湖畔で道場参加者の方々と撮影したセルフィー。楽しそうな雰囲気と共に、道場という響きからはドキュメンタリーの信念や理論を学び、ハードな訓練(鍛錬?)をする場という印象を受けました。しかし実際、蔵王温泉に滞在したこの四日間は、何かを「教わる」というよりも、「探す」ことに特化した時間でした。
 映像作家、特に個人作家は、友人知人に映像関係者がいても普段から自分の企画を人に話し、方法論ではなくテーマに対して深掘りする時間はほとんどありません。また、映像関係者同士が集まって各々の企画を発表する場となると、国際映画祭の企画プロモーションピッチの場以外、ほぼ皆無です。そして前述の場はあくまで商業的な場であり、本質を突き詰める場ではありません。それが今回、日本国内に限らずアジア各国から映像制作者が集まり、お互いの作品を紹介し、現在手がけている企画について話し合う時間が取れたことは、とても貴重な機会でした。また、参加作家のタイプも幅広く、ドキュメンタリーだけに留まらずフィクションやエクスペリメンタル分野出身の作家、そして監督だけでなく、撮影、編集、映画祭プログラマーが一堂に会して意見を交換する山形ドキュメンタリー道場のスタイルは、ジャンルという境界を無くしたとても開かれた場でした。参加した監督の男女比も女性の方が多く、スタッフの方も含めると全体の人数の7割は女性の方で、運営も高圧的なところは全くなく、次はどうしていきましょうか?と、都度スタッフの方も声をかけてくださるので、参加者も主体的に自分たちのスタイルで場を作っていきました。ワークショップ初日に主催者の藤岡朝子さんが語った「この道場は外の人の目を通して自分の作品を新たな目で見ることを目指しています。自分の制作スタイルや価値観から断定的な評価や意見を言うのではなく、できるだけ質問を投げかけて下さい」という言葉がとても心に残っています。もちろん各企画の発表後の議論にはしばしば「こうした方がいいのでは」という意見が出ることもありましたが、この道場では、誰かから教え(制作のヒント)をもらうというよりも、皆で物事の本質を探すことが主題でした。これは国籍、文化、制作スタイルが違う者同士が集まることで、より自分にとって制作とは何か、そしてなぜ作る(撮る)のかを自然に考えられた気がします。自分の制作スタイルとは何か。そして、取り扱うテーマの本質とは何か。道場でいただいた問いかけを常に自分に投げかけながら、今後も制作を続けていきます。
(2019/12/3 池添俊)

 

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 5年間、ドキュメンタリーの制作が止まっていました。それを再開させるために本格的に動きはじめていたのですが、そんな中でこのワークショップのこと教えていただき、参加させていただきました。
 3泊4日という日程の中で、2時間のプレゼンが8回、3時間のレクチャーが4回ありました。道場の名前に相応しく、かなり詰め込んだスケジュールでしたが、松金屋さんの露天風呂に毎日2回浸かり、ケーブルカーに乗ってどっこ沼のロッジに移動し、帰りには温泉街の街並を歩き、少し土地の方ともお話しすることもでき、近くの池で自然の音に耳を傾ける時間もありました。普段の生活を離れて、多様なバックグランウドを持った方々と濃密な時間を過ごしながら映画制作について、人や社会との関わり方について、考える良い機会でした。欲を言えばあと1泊でも2泊でも長ければより落ち着いて、また具体的に意見を取り交わし考えを深めることができると思います。ただ、それはむしろ、アジアから参加されているアーティスト・イン・レシデンスの皆さんが、長期滞在の中で経験されることなのかもしれません。彼らと日本人の作り手、講師の方々が交流し互いに刺激しあえる機会だったと思います。
 「参加するまでの準備でワークショップに参加する9割方の目的は達成される」という思いで臨みました。実際、準備の過程そのものが非常に緊張感のある充実した時間でした。しかし、現実に講師や参加者の方々からの具体的な指摘や参考になる映画の紹介など、ひとつの場に集って寝食をともにして得られた強い印象が、東京に戻った後にも自分の傍らにあります。
 なにより、この数年眠っていた映像を皆さんに見ていただき、そこに写された被写体の方々を暖かいまなざしとともに迎えてもらったという経験は、まだこの先、長丁場となるであろう制作と公開、その先の歩みへと強く背中を押してもらったように思います。ありがとうございました。
(2019/11/30 野村 知一)

 

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1) 離れた土地で作品に向き合うこと
 伊丹空港から飛行機に乗り、窓から外を眺めていると、川の間にビルが建ち並ぶ忙しい大阪の街並みが、隆々とした山々が連なる長野の景色、そしてついに四角い畑と家々が並ぶ山形に変わりました。この景色の変化は、ただ単に遠い街に来たという物理的な距離感だけでなく、自分が普段過ごしている空間から完全に抜け出したという感覚を与えてくれました。若く、特に駆け出しの映像作家は普段、ドキュメンタリー制作とは別の仕事を持っていたり、家庭都合でまとまった時間が取れなかったり、自分の作品だけに向き合うことが難しいといいます。私自身も、学生の時は作品の提出期限に追われ、帰国してからは仕事と並行して各種手続きや家の整理に追われていたので、今回が生まれて初めてドキュメンタリーだけにどっぷり浸かるという機会になりました。蔵王の自然に囲まれて、作品について真剣に考えている人達と、朝から夜遅くまでドキュメンタリーのことだけを話す4日間。ワークショップだけでなく、夕食やそのあとの温泉でも、世界で活躍される映像作家の皆さんと気兼ねなく会話をすることが出来る空気感。到着してすぐに自分が『ドキュメンタリーのことだけ考えている』というある一種の瞑想状態であることに気づきました。そんな機会は後にも先にももうないかもしれないと思うと、本当に幸せな体験をしているのだと感じました。

 

2) 他の作家と出会う意義
 作品を見つめる時間を頂けたことに加えて、他の参加者と密度の高い時間を過ごせたことは、大きな財産となりました。例えば、東京からの参加者に2011年の震災について制作をされている方々がおられました。3.11の記憶はたとえ遠くに暮らしていても強く残ってはいますが、関東ではあの震災をより身近なもの・自分の身に起こったこととして感じている人がいることを知りました。山形駅から東京駅に戻る帰りの新幹線で、福島県を通った時は、なんとも言えない気持ちになりずっと街並みを眺めていました。ドキュメンタリーは作家が抱えている問題や、関心のある人物や事柄を映像で表現するものです。震災に関する作品を拝見した後に、実際にその土地の近くを通ることで、スクリーン上の出来事を自分の柔らかい部分に手繰り寄せる、という不思議な体験でした。私は普段は関東や東北と縁遠い生活をしているので、今回山形に呼んでもらえなければ、このような経験をすることは出来なかったと思います。
 日本の3.11のことだけではなく、シンガポールやタイ、台湾等の映像作家と出会い各作品を見て話し合うことは、自分のこれからの制作意欲に繋がりました。ドキュメンタリーはフィクションと違い、やろうと思えば、一人でも制作を続けてしまえます。その特殊性のせいで孤独になりがちだという話をよく聞きます。どの作品もたとえ撮影や編集を自力ですることが出来ても、他の人の視点や協力がなくては本当の完成には近づきません。今回このことを改めて確信したので、これからは自分のアイデアや制作過程を他の人と共有すること、意見交換をすること、コラボレーションを進めることを意識して活動していきたいと思います。
(2019/11/13 梁 貴恵)

 

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 3泊4日の僅かな滞在期間でしたが、映画と関係のない日常生活の様々なノイズを全て遮断し、一人の作家として真摯に、そして集中して映画だけに向き合う時間を過ごせたことは、自分の映画人生では初めての経験でした。道場で過ごした時間が掛け替えのない財産になっていることを東京の日常に戻って痛感しているところです。
 日々の生活を営みながら映画を作ることは、インディペンデントで活動する自分にとっては経済的にも精神的にも大変な体力がいることです。作り続ける上での孤独と戦う勇気や情熱も兼ね備えていなければなりません。
 作りたい映画の企画があるものの、制作資金が底をつき、活動範囲に限界を感じていた自分は、現状を打開しようと、昨今、国際共同制作のピッチングセッションに参加してます。自分の企画に興味を示してくれる人たちとの出会いがあるものの、ピッチングの場で求められるのは企画の商品的価値であり、それも大方完成された「作品」です。まだ形にならない未熟な企画には関心を持ってもらえないのがあの場での現実です。ニーズに答えようとするあまり、自分自身を見失いがちでした。
 そんななか山形道場に参加できたことは、映画を作るという根源的な意味を考え直す大きな契機となりました。道場に集った人々は、第一に、映画を愛し、作ることに喜びや情熱、葛藤や哀しみを見出し、多くの困難を映画を通じて表現しようとする、映画そのものを人生とする映画人だったからです。
 世界各国で活躍する一流の講師陣、国内外で活動する制作者、山形映画祭を中心としたスタッフ皆が同じ宿で寝食を共にし、温泉に浸かりながら、制作者の映像と向き合い、議論し、語り合ったことは、道場ならではの大変有意義な時間だったと思います。
 講師陣から多くのアドバイスをもらいましたが、それは一般論ではなく、講師の方々の実際の映画制作の経験を通じての助言であったので、大変共感しました。まずは作家のピュアな想いがあり、それを映画へと普遍化するための飽くなき情熱と勇気、そして知力が必要であると学びました。
 道場に参加して何よりよかったことは多くの参加者と横の繋りを持てたことです。これも映画祭が30年育んだ文化があってこそだと感じます。作家と映画を育てようとしてくれる映画祭の家族的な愛情を感じました。ここで生まれた絆は一生の宝であり、今後の映画人生の中で大切にしたいと思います。
 最後に、かつての自分のような、制作に行き詰まり、下を向いてばかりいる孤独な若手インディペンデントの作家たちに、道場で学んだことをしっかり還元し、彼らを支えていけるような人間になりたいと思います。
 表現しようとするメディアの垣根を超えて、日本のドキュメンタリー文化を盛り上げる一躍も担えることができればと思っています。
(2019/12/4 山田徹)

 

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