つぶされようと、人生には勝つ
若い頃 父親に言われて恋人と別れ、長江岸辺の一家にイヤイヤ嫁いだ秉愛。しかし長男昌文(チャンウェン)と長女霊芝(リンジ)を授かり、体が弱く頼りない夫熊雲建(ション・ユンジェン)との間にも愛情をはぐくむようになっていた。
本作撮影の7年間で、子どもたちは成長し、秉愛の髪には白髪が見えても、顔には母親としての豊潤な落ち着きと自信が生まれていく。毎日の草取りと畑仕事、布靴を手で繕い倹約する日々。収穫の喜びや子どもとの会話、夢の話。そして傍らではいつも長江が堂々と流れ、そこには多くの船が行き交うのだった。
まるで秉愛を次から次へと襲う試練や喜びのように……。

ダムの建設で川の水位が上昇するため、村では秉愛の家を含む海抜135メートル以下の家の住人は移住を勧告されていた。しかし秉愛は抵抗する。補償金をもらって街に移り住むのではなく、農地のあるここで暮らし続けたい……。
国家の都合で自分の生き方を変えることに断固反対の姿勢を7年以上も貫き通すのだった。

「何としても生き抜く」「わたしは強情なのよ」と笑顔で言う彼女。
この映画は、三峡ダムについてではなく、秉愛というひとりの平凡な中国女性の生き様の物語である。
「自分が死んだ後、こう言われたい。“あの人は骨身を惜しまず、よく夫や子どもの面倒を見たね”――最高の褒め言葉よ」その大げさな言葉の背後には、中国内部の貧しい農村で尊厳をもって生きることの困難が浪々と湛えられている。


中国の栄光の陰で
三峡ダムは2009年に完成予定。
2008年6月2日、オリンピックの聖火ランナー25人が、2309メートルという世界最大のダムの上を走った。たった18分のリレーだったが、「我々は100年かけてこの道のりを作ってきた」と三峡ダムの副所長は言う。
1918年に孫文が構想した巨大ダムの完成が近づき、そして同様に中国の威信を賭けたオリンピックが2008年に開催。百年来の中国の夢が二つ、いま叶おうとしている。

一方、300億ドルの工事費をかけた国家プロジェクト三峡ダムは、140万人もの住まいと田畑の水没が代償だ。長江岸辺に暮らす農民が世界のメディアに注目されるのは移住前後の一時だが、国の決定は彼らの人生の中でどのような位置を占めるのか。

ジャーナリズムやマスコミが政治経済動向や社会現象としての中国現代社会を大きく捉える中、このドキュメンタリーはひとりの個人の生活に7年間寄り添い、その日常の現実を受け止めた。
ひとりっ子政策が貧しい農村の女性の心と体にどのような傷を残しているのか。村の会議と票決はどのように執り行われているのか。『長江にいきる』は、最も貧しいと言われる内陸部の農民の暮らしの現実と個人の生き様を見せてくれる。


ドキュメンタリー版『秋菊の物語』
近年 中国の現実を淡々と映し出す中国映画の現代性が高い評価を得ている。『長江哀歌』、『1978年、冬。』、『雲南の花嫁』などが好評だ。
ドキュメンタリー映画も、瀋陽の巨大国営工場群が没落する姿をデジタル・ビデオで捉えた9時間の傑作『鉄西区』や、ベルリン国際映画祭の新人監督賞(ヴォルフガング・シュタウテ賞)を受賞した『水没の前に』など大型作品がヤマガタほか世界の映画祭を席巻している。
劇的な変貌を遂げる現代の中国社会を映すリアリズム映画の系譜に、主人公から距離をとる観察型の視点が多い中、『長江にいきる』はひとりの平凡な農民女性の逆境との闘いに、一般観客が感情移入し心を寄せられる生き方をストレートに描く。いわゆる「肝っ玉かあさん」。これはかつて、コン・リーが『秋菊の物語』(チャン・イーモウ監督)で演じた農村の女性の奮闘劇のドキュメンタリー版である。


日本で学び世界へ
「久しぶりに人生という言葉を文学の中に見出し、高揚した。」(高樹のぶ子)
「ここには書きたいという意欲がある。」(池澤夏樹)
「古めかしいともいえそうなリアリズムの作風」「荒削りではあっても、そこには書きたいこと、書かれねばならぬものが充満しているのを感じる。」(黒井千次)
これは2008年芥川賞の選評であるが、実存の切実さへの直球を投げた中国人の楊逸著『時が滲む朝』が、観念性や技巧に縮こまる今の日本文学界に大きな波紋を投げかけていると言える。

京都大学大学院で経済学を学び、博士課程まで終えた中国人の馮艶監督の『長江にいきる』が山形国際ドキュメンタリー映画祭でアジア部門のグランプリ<小川紳介賞>を受賞したことと大きく重なって見える。
1960〜80年代に三里塚闘争や山形の農民の映画を作ったドキュメンタリーの巨匠、小川紳介の名のついた賞を受賞したことは、馮艶にとって特別の喜びだった。彼女は1993年に見た小川作品に受けた衝撃から自らドキュメンタリーを撮り始め、また小川紳介著『映画を穫る』を中国語に翻訳・出版までしている。
長い留学生活に加え結婚・出産を経験した日本という外部と、小川紳介監督という先輩を得て、彼女はドキュメンタリー映画を通して母国中国を見つめている。


日本のベテラン音響マンとの出会い
第10回の山形国際ドキュメンタリー映画祭で、馮艶監督は偶然ひとりの日本人と出会った。講師として招かれていた映画音響の菊池信之だった。
菊池氏は1970年代の小川プロダクションで映画人生をスタートし、その後フィクション、ドキュメンタリーを問わず数多くの映画音響を担当してきた。青山真治、河瀬直美、萩生田宏治、諏訪敦彦など日本の若手作家たちの仕事を支える重要な役どころを果たしてきた映画音響スタッフである。
菊池氏は山形映画祭で『長江にいきる』を気に入り、馮艶の次回作の音響を担当する約束を交わす。この出会いのおかげで、『長江にいきる』も日本で一般公開されるこの機会に、菊池氏による新たなサウンドヴァージョンに衣替えする。
デジタルビデオやHi-8ビデオを使い、ほとんどひとりで撮影・録音して作った『長江にいきる』が、プロの参加を得てどのように生まれ変わるのか。音というもうひとつの物語を得て、長江のほとりの空間的広がり、秉愛の心の内面的広がりがどのように立ち上がるのか。それは日本を含む世界で数多く作られるデジタル・ビデオ映画の未来にとっても、重要な指針を秘めている。


秉愛の物語は続く
1995年に初めて出会った秉愛。最初は「カメラなんて置いて畑仕事を手伝って」と言うばかりで、撮影にはあまり協力してくれなかった彼女と、フォン・イェン監督は十年以上にわたる信頼と友情を築いていった。秉愛という女性に“ほれ込んだ”監督は、『長江にいきる』の完成後も、2008年春まで秉愛一家の撮影を続けてきた。
それはまさに今、編集の終盤を迎えようとしている新作ドキュメンタリーのためである。これは長江のほとりに住む4人の女性の10年史で、秉愛のその後の人生も描かれる。ある村の共産党幹部、華やかな美容師、そして頑固で独立心の強い老婆。年齢も境遇も異なる女性たちが三峡ダムによる移転に直面しどのように生活が変わっていったのか、そしてそのときどきの彼女たちの心の動きが、丁寧な撮影とフォン・イェン監督ならではの静かな眼差しで捉えられていく。この作品は2009年初春に完成予定である。
配給: ドキュメンタリー・ドリームセンター(DDセンター) 〒160-0005 新宿区愛住町22 第3山田ビル6F (シネマトリックス内)
TEL 03-5362-0671 / FAX 03-5362-0670 / doc.dream.center@gmail.com