長江のほとりで家族とつつましく暮らすお母さん、秉愛(ビンアイ)。
働き者の彼女にとって、育ち盛りの子どもたちを育て病弱な夫と連れ添うことは、滔々(とうとう)と流れる川のように十分な幸福だった。
政府から降って来た移住命令によって、今の土地から離れなくてはならないなんて、なぜ? 
平穏な生活が営まれるなか、小役人がときどき嵐のようにやってきては、甘い言葉や脅迫で一家を追い出しノルマを達成しようとする。
学もコネもない秉愛は、理不尽には頑固でしか対抗できない。次第に一家は追い詰められていく……。


【三峡ダムについて】
長江(揚子江)は中国一の大河である。人々から「母なる川」として親しまれる一方、たびたび洪水を繰り返し、治水を目的とするダム工事が、今世紀初頭の孫文の時代より検討されてきた。1992年4月1日、第七次全国人民代表大会第五回会議でダム建設の計画が可決されて、実現に向けて動き始めた。長江で最も風光明媚な三つの峡谷がある場所に築かれることから、「三峡ダム」と命名された。貯水量393億立方メートル、発電能力1768万キロワットという世界最大のダムである。ダム湖の長さは湖北省の宜昌から重慶まで約600キロに及び、完成時、水深はかつての10メートル未満から110メートルになるため、沿岸地域に住む19の県と市の合計140万人が移住を余儀なくされた。
このダム建設にあたっては、生態系への影響を懸念する声や、「三国志」時代の史跡が水没することへの批判など、反対意見も強かったが、結局大型船が河口から2400キロ奥の重慶まで通れるようになること、世界最大の発電所が上海を初めとする沿岸部の諸都市に電力を供給できることなどの経済的メリットが優先され、このプロジェクトは承認された。
工期は三回に分かれ、段階ごとに水位は上昇。2003年に海抜135メートル、2006年に156メートル、ダム完成時期には海抜175メートルまであがる。水没予定地域に残されていた最後の住人たちが2008年7月に湖北省高陽を後にし、長年にわたる国家の壮大な移住計画は終了したと報道されている。
[参考:『匿されしアジア―ビデオジャーナリストの現場から』アジアプレス・インターナショナル編・風媒社、ロイター記事、ほか]


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